2009年12月6日日曜日

手のひらのたからもの

  
「掌中の珠」という言葉があります。
手の中の珠。もっとも大切なものという意味だそうです。

塾生でもあり、長いおつきあいのお友達のYさんが電話で今日ひいたおみくじの話をしてくれました。
その中に「掌中の珠」という言葉があったそうです。

今年、自分にとってとても大切な存在を失ったときに、この言葉が思い浮かびました。
私にとってその存在が「掌中の珠」であると、ずっと思っていました。
その大切なものを失ったとき、まさしく手からこぼれ落ちたという感覚でした。
言葉には表せない喪失感でした。

つらい日々をおくっていた夏ごろ、JM.Shimizu先生がMaster Tenpuからの「本人自身がプロセスとなって心性意識が霊性の扉を開かせんが為なり たたけよ!さらば開かれん!」というメッセージを伝えてくれました。
私にとっての「つらい」と思う気持ちは、霊性への扉をたたき続ける原動力となる。
とおっしゃってくれていたようでした。

扉とはいつ開かれるのか? 何が待っているのか? どれだけたたき続けたらいいのか? 
その時は、ただただつらく、苦しいと思う気持ちしかありませんでした。

それから、1か月ぐらいたったころでしょうか。
その「扉が開かれる」という言葉の意味がわかる現象が起こったのです。
と、同時になんと与えられているものが多いのかということもわかりました。
「掌中の珠」がこぼれ落ちたと思った私は、目に見えることしかその言葉で理解していなかったと今はわかるのです。
私の大切なたからものは手のひらにあり続け、失うどころか光り輝き、多くのものを与えてくれていることに気付きました。

最近Masterから
「あなたの大切な存在はあなたの中で生きて、そしてあなたはその存在を活かし続けるのです。」
というメッセージを受け取りました。
胸が熱くなりました。
満ち足りているのです。
感謝です。
  

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